2010年6月28日月曜日

愚の力



浄土真宗の現門主、大谷光真さんが書かれた本です。

現代に生きる我々は、常に「志の高さ」や「意志の尊さ」、「努力の必要性」などを求められ続けています。
そして「自分の人生を自分の力で切り開いていくこと」の素晴らしさが強調されます。


しかし、その方向にばかり進んだ結果、明らかに「疲れ」が出始めているのが現状なのではないかと。
厳しい経済情勢、思い通りにはならない諸々のこと。
これらのことが原因で、人はいともたやすく「絶望」や「不合理」の世界に堕ちるようになりました。


「人は基本的に不完全だよ」ということを前提においている本書のような考え方は、実は非常に理に適っているのではないかと思います。
世界と自分との関係性を感じ取り、孤独に陥らないことが生きていく上で何よりの支えになるかと。


自分の内側をゆっくりと解きほぐしたい時にオススメの本です。
是非ご一読を。

2010年6月22日火曜日

漫画 歎異抄



浄土真宗の開祖親鸞の言葉をまとめた歎異抄(たんにしょう)の内容を、分かりやすいように漫画で表現したものです。
なんでも簡単にすれば良い、という風潮はそれなりの問題を含んでいるとは思いますが、それでもそれが何かのきっかけになることもあります。
要はバランスかと。


私自身は特定の宗教に対して信心を持っているわけではありません。
ただ、本書を読んでいて非常に納得がいく言葉もありました。

第二章の「他に方法は知らないし」といった考え方。
第三章の「我々はみな揃って悪人」という考え方など。

とかく、自分が頑張れば全てを管理し、コントロール出来ると思いがちな昨今にあって、非常に救いとなる考え方のように感じられました。


「努力しているのに報われない」などの徒労感を感じている方などにオススメです。

2010年6月15日火曜日

数学ガール



数学に関する読み物本です。
一人の少年と二人の少女の関係を通しつつ、数学に関する様々な問題に挑戦していきます。
より正確には「数学に関する問題を自分たちで考え、展開していきながら、その問題を解いていく」ということを繰り返していきます。


隠れた構造を読み解く楽しさや、数学の自由さを味わうことができる一冊です。
例えば我々が教科書で教わった色々な公式(今や記憶の彼方に去ってしまった数々の…)を自分で勝手にいじくりまわす、なんてことはしていなかったのではないかと思います。
本書では「好きにやれば良い」と色々な式を思い思いに展開していきます。


連作で出ているようなので、続きも読んでみようかと思います。

2010年6月12日土曜日

宮本武蔵は、なぜ強かったのか?



稀代の剣術家、兵法家として名高い宮本武蔵が遺した五輪の書。
その五輪の書の中にある「水之巻」に書かれている身体感覚に関する追求が中心となっている本です。

身体感覚に関するお話や物理学に関するお話など、人間の体が如何にシステマティックに構成されているのかがよくわかる一冊です。


また、本書の中で提言されている「分類しない、記号論にとらわれない稽古、練習」という考え方は、現代の我々には非常に重要なことを投げかけているのではないかと思います。
「ニュアンス」「曖昧」というと現代では否定的な意味合いで取られがちです。
極論でははっきりとしないものには価値がない、という考え方がスタンダードになりつつあるかと思います。

しかし、多くの実践、そして実戦において最終的に役立つのは「型や定義」ではなく「その場に応じて動く身体」の方なのではないかと。


学び方に対する一つの考え方を提示した本として捉えても面白い一冊ではないかと。

2010年6月6日日曜日

マンガで分かる心療内科



とある心療内科の病院のHP内で連載されているウェブ漫画が単行本にまとめられたものです。
ウェブ上では結構有名な作品かと。


中々聞きづらい心療内科のお話などが分かりやすく解説されています。


受験生時代に成果が出なかったときなど、相当に落ち込む日々が続いたこともありました。
また、子育てなどで本当に悩んで苦しんだ日もあります。
良くないこと=何でも病気、という安直な決め付けも良くないとは思いますが、因果関係がある程度分かっているものを精神論だけでひっくり返そうとするのも無理があるのではないかと思います。


個人的には、女性化願望のところなどが非常に興味深いです。
感情を表に出せる機会を用意することは、とても大切なことなのだと確認。

2010年6月5日土曜日

女の眼でみる民俗学



女性の執筆陣による、女性に関する民族的な問題を取り扱った本です。
炊事や洗濯、出産や死など、女性の一生にどのような出来事があったのか。


特にこと出産ということに関して、女性は明らかに男性よりも大きな負担を強いられているわけです。
そのことの「負担感」というものに対する不公平感のようなものは、やはり以前から根強くあったのかな、と本書を読んでいて思いました。

ただ、それでは女性が一方的に負担を強いられ、虐げられていたのかというとそういうわけでもなさそうです。
一部の風習に残る「男性だけに限定されるもの」(例えば相撲の土俵には女性が上がれないなど)の原因は、女性が劣っているとか不浄である、というよりも「女性のもつ特別な力」を恐れてのことだったのではないか、という指摘もなされています。


また、炊事などを女性が担当していることについても面白い指摘があります。
炊事を任される、ということはその一家の命運を一手に引き受けるに等しい意味合いをもっていたようです。
つまり「炊事を押し付けられる」という感覚よりも「炊事を信頼して任される」という解釈に近い。


現在の我々が持っている死生観とは明らかに異なる世界。
しかし、我々はそういった死生観を捨て去り、また新しい観を育て、受け継ぐこともなく現在の世を生きているわけで。


功利主義が幅をきかす現状にあって、実は大切なのはそういう「命の客観化」のようなものなのかもしれない、などと漠然と感じました。