2011年7月5日火曜日

「対話」がはじまるとき



人の孤独は進行し、世界の行く末に対して悲観的な意見を持つ人が増え続けているという冒頭から本書は始まります。
こういうマイナス要素を改善していくために一番良い方法は何か?
それは「対話」をしていくことだ、というのが本書の内容です。

シンプル・イズ・ベスト。
相手に対する好奇心を持って、決め付けをしないことで開かれる可能性を信じること。

日本でも年々処罰感情が強くなっているように思います。
実際にはその人が怒る理由はないにもかかわらず、まるで我が事のように怒りが振りまかれています。
出来ることはまず自分の身の回りから。
相手の話を聞くこと。

できそうで出来ていないことの筆頭です。

アースダイバー



東京に存在する宗教施設や有名なスポットの多くが、遠い過去においては水先、岬の部分に該当するのだそうです。
半島の突端、岬の部分は今で言うところのパワースポットのような存在でした。
死者の霊を祭り、場合によってはその力を借りることすらする「死を隣にあるものとして受け入れた世界」が存在していたようです。


湿度の高いところと性・エロ産業の相性の良さなど、東京という街の原動力は明るい陽の気だけでなくジメジメとした、陰気な部分があるのかもしれません。
如何に都会から影をなくすのか?ということに苦心をしていた我々が、今回の震災を機に「どうすれば涼しく過ごすことが出来るようになるか?」と頭をヒネっているのはなんとも皮肉なことかもしれません。


生と死、光と影、清濁、陰陽、今のような時勢にあってこそ色々なものを受け入れた方が楽なのではないかと思います。

身体感覚で「論語」を読みなおす。



孔子やその弟子たちの言語がまとめられた論語ですが、実際にまとめられたのは後代になってからと思われます。
その際に、論語が書かれた時代には存在しなかった文字が当てられました。
また、長く残っていく中で当てられる字が変わっていくようなこともあったでしょう。

本書はそういう文字の歴史を振り返りながら論語を読みといていきます。
「四十にして惑わず」などの有名な一文ですが、実は「惑」という字が当時は存在しなかったというのは本書で知りました。

現代人の身体は平たく言えば鈍っています。
多くの利器に囲まれ、その持ちうる機能が忘れ去られています。
「心」というものが胸、腹(胆)、性器の辺りにあると考えられていたのではないか?など身体の感覚に根ざして読み直すことで、また違った読み方があり得るのではないか?という一冊です。


常日頃から想い続けている身体と心の不可分なども含め、日常生活に活かしていきたいポイントが含まれていました。