2010年11月29日月曜日

贈与論



内田樹さんの本の中で何回か出てくるマルセル・モースの贈与論、原典に当たってみました。
正直、宗教系や民族系の難解な用語には中々ついていけない部分もあったのですが、やはり原典を読んでみてとても良かったです。

現在における贈与というものは「任意」や「好意」なわけですが、そうではない「義務としての贈与」というものが存在していたことが繰り返し説明されていきます。
贈与と返戻、また自分がもつ富を破壊する行為など、現在の我々の価値観からするとちょっとずれているお話なのですが、実は別の原理原則から考えるととても理にかなっているお話であることが本書を読み進めていくと分かってきます。

経済的な要素のみでなく、この「贈与と交換」という行為を通じてこそ「人間社会なるもの」が形成されていったのではないか、という全体的なお話が展開されます。

現在の諸問題の根っこにあるものを探るのにとても良い一冊かと。

2010年11月16日火曜日

戦略は直観に従う



戦略の策定というとまず「目的を決める」ことから始まり、そこから「現状の把握」「競合」「市場の動向」などを綿密に分析することで進められる、というのがオーソドックスな意見です。
しかし、実はこの手の論理の中ですっぽりと抜け落ちている部分があります。
それは「では実際に戦略をどうするのか?」という策定そのものの部分です。
どうすれば「達成可能な戦略」を策定できるのか、そのことがこの論理では説明がつかないのですね。


本書は「まず目的を定める」という従来の説をひっくり返すことから始めています。
必要なことは「機会」をきちんと捉えることです。
現実に実行可能な手段を拾い出し、そこから目的が展開していくことを提唱しています。


本書と趣旨はずれますが、アル・ライズのマーケティング論などは手法論において近似的なものがあるかもしれません。
マーケティング戦争」「フォーカス!
氏は「戦略と戦術なら戦術のほうが大切に決まっている」と言います。
「実行可能かどうか分からない話し」よりも「今できる戦術」に傾注したほうが、成果は出し易いに決まっている、という理屈ですね。


前回ご紹介しているセレンディピティなどと併せて、日々心がけることで「新しい何か」が始まるかもしれない一冊です。

2010年11月11日木曜日

セレンディピティの探求



セレンディピティという言葉はご存知でしょうか。
一番簡単な日本語では「偶然」などと訳されているようです。

歴史的な偉業や大きな成果を挙げた人の多くが「偶然の出会い」によってその結果を成し遂げていることが多いというのは、比較的よく知られていることです。
このような偶然は、実は「訪れやすい人」というものがあるようです。
そういった偶然に出会えるようになるための技術が書かれているのが本書です。
出会い、というよりも気づきという方がニュアンスとしては近いかもしれません。


論理的思考や不確実性の排除というものが求められていますが、そのようにしてマニュアル化が進んでいくことによって独創性というものは失われていくことになります。
場合によっては「不確実性を推進させる」ような技術も必要になってきます。
当然失敗はつきものですので、その失敗に対するリスク管理などを併用することで、思いもしなかった事業が展開するようなこともあるかもしれません。

二項対立の危険性や重層性思考の重要性、部分ではなく全体的な理解への示唆など、セレンディピティの世界は東洋的思想に非常に重複する部分が見受けられます。

2010年11月8日月曜日

街場のメディア論



内田樹さんの大学でのメディアに関する講義をまとめた一冊です。
冒頭、キャリア論から始まり、他者から求められることによる自己の才能の発露について触れられています。
とかく「自分の才能を活かせるような仕事」という自己決定が重要なことのように思われている昨今にあって、この他者から与えられる「贈与」のような考え方(一度マルセル・モースは読まないといけない気がしています)が少しでも共有されると、今起こっている困った現象の多くは解決に導かれるように思います。

また、少し前にご紹介した「テレビの大罪」でも出てきましたが、メディアにおける「当事者意識のなさ」には驚くべきものがあると思います。
「なんということなのでしょうか」と言っているその張本人が、実はその事態を引き起こすことに確実に加担している、あるいは悪い状況が進行していることを知っていながら見過ごしている。

本書の中で展開される「電子書籍」に関する話はとても共感ができます。
私自身、事務所には自分で大量の小さな棚を買ってきて作り上げた書棚があります。
この書棚に並んでいる本から、私は私自身からの「何か」を受け取っているのかな、とよく思います。
これはCDでも同じでして、私はダウンロードで音楽を買ったことが一度もありません。
そして、今後も買わないと思います。


「資本化」というものに関することも含めて、色々と考えさせられる一冊です。

2010年11月3日水曜日

4時間半熟睡法



以前は眠るのがあまり得意ではありませんでした。
布団の中に入っても、色々と頭の中で考え事がうずまき、中々入眠できませんでした。
こういった思考の方向については、以前ご紹介した「考えない練習」などで学んだ技術を活用しています。

しかし、それでもまだまだ睡眠に関しては「もっとどうにかならないものか?」と考えていました。
というわけで読んでみたのがこちらの本です。

とても分かりやすい理屈として「体温の差が眠りを誘う」ということが繰り返し説明されています。
つまり「寝る前に体温を一時的に高めておくこと」の重要性と、そのための手法が説明されています。
また、お酒をよく飲む人は「いつ飲んだほうが眠りに悪影響が出ないか」といった貴重な情報も書かれています。

より身体的な面から眠りを改善したい方にオススメです。

テレビの大罪



テレビというものの持つ「毒」の部分をこれでもか!という勢いで書き連ねた本です。
著者ご本人も認めていらっしゃいますが、敢えて決めつけて書かれている部分もあり、反発を生みそうな部分も多いですが「物事の多面性」というものを図ることの重要性が繰り返し指摘されています。

実は私自身、テレビを見なくなって久しかったりします。
私の中では、お笑い芸人というと波田陽区さんあたりで止まっていまして、以降の芸人さんは正直言ってよく分かりません。
テレビを見なくなった理由は、端的に言うと「気持ち悪い」と感じるようになったからです。
このように感じたのは、自分が税理士として開業する少し前ころからだったように思います。

端的に言うと、事業という「複雑なもの」を見つめているうちに、テレビで流されている様々な出来事があまりにも単純化されているのではないか?と不安に思ったからです。
特にひどいのは「ニュース番組」ではないかと思います。
極端に被害者に偏った報道、一度でも罪を犯したものを徹底的に排斥しようとする言動などは、正直に言って「度が過ぎている」し「単純化し過ぎている」と思います。

私のような「法律に携わるお仕事」をしていると、嫌でも法のグレーな部分に近づかざるを得ないような場面に遭遇します。
私は問題がない、と思ってやったお仕事の結果、ある日突然「脱税幇助」で起訴される可能性だってあるわけです。
そのときにテレビではさぞかし「悪徳税理士!」「資産家である社長のために悪の限りを尽くした、堕ちた若手税理士」だとかさんざん報道するのかもしれません。

自分がもしあちら側だったら、と少しでも想像すれば、今のテレビがどれほど怖いものかは容易に想像ができると思います。
白と黒がはっきり分けられていることは確かに気持ちが良いかもしれません。
しかし、それだけで物事を片付けていて、もし自分が突然「黒」と断定されてしまったら、どうするのでしょうか?

本書自体を批判的に論じることもまた、多面性の育成には良いと思います。
そういうきっかけの一冊になれば。

2010年11月1日月曜日

素数の音楽



リーマン予想を中心に据えて素数研究に関する歴史やそれに関わった人々に関するお話が展開されていく本です。

本書の中でも出てきますが、素数の研究などは産業などへの実用面などをあまり考慮しない純粋数学の世界で繰り広げられる、抽象的な概念のお話のはずでした。
それが、ある時期から突然に通信における暗号システムの構築に必要不可欠となり、その実理性が一気に注目されるようになりました。
同じような暗号システムとして利用されている楕円曲線暗号なども同様で、元々は数学者の頭のなかで繰り広げられる「思考の遊び、旅行」のような性質が色濃かったように思われます。


本書を読んでいると、例えば「役に立つことを学ぶこと」や「他分野とのつながりをどのように理解するのか」といった数学に限定されない「学問」「学ぶこと」について考えさせられることになります。
「役に立つことを学ぶ」
「役に立たないことも大切にする」
どちらも色々な本で紹介されている言葉ですが、その極端な例を展開している人々のお話です。