2011年7月5日火曜日

「対話」がはじまるとき



人の孤独は進行し、世界の行く末に対して悲観的な意見を持つ人が増え続けているという冒頭から本書は始まります。
こういうマイナス要素を改善していくために一番良い方法は何か?
それは「対話」をしていくことだ、というのが本書の内容です。

シンプル・イズ・ベスト。
相手に対する好奇心を持って、決め付けをしないことで開かれる可能性を信じること。

日本でも年々処罰感情が強くなっているように思います。
実際にはその人が怒る理由はないにもかかわらず、まるで我が事のように怒りが振りまかれています。
出来ることはまず自分の身の回りから。
相手の話を聞くこと。

できそうで出来ていないことの筆頭です。

アースダイバー



東京に存在する宗教施設や有名なスポットの多くが、遠い過去においては水先、岬の部分に該当するのだそうです。
半島の突端、岬の部分は今で言うところのパワースポットのような存在でした。
死者の霊を祭り、場合によってはその力を借りることすらする「死を隣にあるものとして受け入れた世界」が存在していたようです。


湿度の高いところと性・エロ産業の相性の良さなど、東京という街の原動力は明るい陽の気だけでなくジメジメとした、陰気な部分があるのかもしれません。
如何に都会から影をなくすのか?ということに苦心をしていた我々が、今回の震災を機に「どうすれば涼しく過ごすことが出来るようになるか?」と頭をヒネっているのはなんとも皮肉なことかもしれません。


生と死、光と影、清濁、陰陽、今のような時勢にあってこそ色々なものを受け入れた方が楽なのではないかと思います。

身体感覚で「論語」を読みなおす。



孔子やその弟子たちの言語がまとめられた論語ですが、実際にまとめられたのは後代になってからと思われます。
その際に、論語が書かれた時代には存在しなかった文字が当てられました。
また、長く残っていく中で当てられる字が変わっていくようなこともあったでしょう。

本書はそういう文字の歴史を振り返りながら論語を読みといていきます。
「四十にして惑わず」などの有名な一文ですが、実は「惑」という字が当時は存在しなかったというのは本書で知りました。

現代人の身体は平たく言えば鈍っています。
多くの利器に囲まれ、その持ちうる機能が忘れ去られています。
「心」というものが胸、腹(胆)、性器の辺りにあると考えられていたのではないか?など身体の感覚に根ざして読み直すことで、また違った読み方があり得るのではないか?という一冊です。


常日頃から想い続けている身体と心の不可分なども含め、日常生活に活かしていきたいポイントが含まれていました。

2011年4月14日木曜日

弓と禅



ドイツ人哲学者のオイゲンヘリゲルさんが書いた禅に関する本です。
以前にご紹介した「日本の弓術」の続編です。

禅に関するお話のとっかかりとして弓術を選ばれ、スポーツや技術論ではない「精神性・神秘性」なものとしてのあり方に試行錯誤をしながら少しずつ前進をされていきます。

「何かをこうしなければならない」という意志の力を明確に否定する弓術の師範。
純粋に呼吸に集中することをしつこく説かれます。
このお話が「本当の意味での合理性」に繋がっているのではないか?と私は感じています。
現在のような状況にあって「ちょっと賢い程度」の知識でこうあるべきだ!などと考えることがどれほど小賢しいことか。

何かができないことを悔しく思わず、何かができたことを喜ばず。
今のような困難な状況にあって、こういう感性はとても大切なことのように思います。

やさしいベイトソン



コミュニケーション理論の大家であるベイトソンに関する入門書です。
「A」と「B」ではなく「AとBの間にあるもの」について着目をするのがコミュニケーションの基本です。
本書の中では「説明原理」として取り扱われています。
説明原理には重力、宗教、悪魔、スピリチュアルなど色々なものが存在しますが、その中の一つのツールとしてコミュニケーションというものの有用性を確立したのがベイトソンです。


言葉だけの言葉などというものは存在しない、というのはとても大切な考え方です。
それまでのお付き合い、前後の文脈、その人の人柄、あるいは発声の方法まで含めて、言葉というものはその状況、ストーリー、コンテキストの中に組み込まれて存在しています。
この現実を無視したまま言葉だけで物事を説明しようとすると、色々と無理が生じるように思われます。

「ただちに危険は生じない」「しっかりと対応していきたい」という言葉が流行している昨今にあっても、このコミュニケーションという考え方はとても大切なものなのではないかと思われます。

2011年3月28日月曜日

ゆるめてリセット ロルフィング教室



能楽師の安田登さんが書かれたロルフィングに関する本です。
自分で簡単にできるエクササイズが紹介されています。

ロルフィングは「身体の緊張を解す」「分化を促す」「身体の必要な部分を活性化させる」ことなどを目的とするボディワークです。
現代人の多くは圧倒的に運動量が不足しています。
また「見た目重視」が過ぎることから、本来使えるべき部分が使えておらず、それによって身体のレベルが著しく低い状態になっています。

特に昨今の荷重ストレス状態(余震、原発、停電、水など)は、身体に相当な悪影響を及ぼしています。
そして身体の不調は心のアンバランスにもつながっていきます。

身体をほぐす手段を一つ学んでおくだけで、不調の原因が軽減されるのではないかと思います。

粗食のすすめ



以前から買ってあった本ですが、こういう状況になり少し早めに読んでみました。
「風土にあったFOODを食べるのが良い」というのは確かにそうなのかと思います。

また、昨今の「栄養素重視」の食事については何かがおかしい気がしています。
「◯◯を何グラム食べたから大丈夫」というのは食べ物の部分的な要素のみを取り上げています。
しかし、一つの食べ物には色々な側面があって当然で、その一部分だけを取り出して「◯◯健康法」といった話につなげるのはおかしいのかと。


とはいえ。
本書もまた食べ物の「一側面」を抜き出して話が進んでいる部分もあります。
ですので全面的に信頼するのもどうなんだろう?とも思っています。
明治時代くらいの平均寿命と現在とを比較した場合に、あきらかに現在の方が長いのは確かですし。
本の中で語られている統計値やデータの扱い方にやや恣意性を感じます。

ちなみに、本書で紹介されている粗食メニューは被爆時の対処として良いとされているメニューと非常に似通っていますね。
その側面から見直してみるのも良いかもしれません。

数学ガール 乱択アルゴリズム



数学ガールの四冊目です。
アルゴリズムと「効率的な手段」としての乱択のお話が主軸になっています。

遠い昔、プログラマなる職業をやっていた身としましては、ウォークスルーなんかはとても懐かしく思いました。
そういえばこうやって一行ずつ確認していったよなぁ…と。
以前、実務のレベルではさっぱり分からなかった「数学とプログラムの関係」についても本書で初めて触れられたような気がします。
どちらかというと、プログラマの実務レベルだと「文章を読めるか」とか「顧客の要望が理解できているのか」という方が主軸になっていた気がします。


問題解決のための問題、というのは大切な観点ですね。
P≠NP問題、以前から知ってはいましたがやっぱり難しい。

2011年3月3日木曜日

ねじとねじ回し



ねじに関するお話が深く掘り下げられている一冊です。
一時期日曜大工に凝っていた時期があるのですが、確かに釘とネジではその役割に大きな差異があることを強く感じていました。
ネジ、すごいな~と。

そもそも「ネジ」という仕組みを誰がどう考えたのか?というのをどこまでも深く追いつつ、最後の解説文では現代のネジ事情などにも触れられています。

回転運動、螺旋構造などは身体感覚などを考える際にもよく用いられます。
たかがネジ、されどネジ。
ちょっとねじについて詳しく知りたくなってくる一冊です。

facebook使いこなし術



あくまでフェイスブックの説明書代わりに購入。
内容については特にひっかかったところもなく。
ソーシャルの考え方については、正直「大して興味がない」のが本音です。

私にとって大切なのは

「どんな道具も身体の延長線上にあることを常に意識していること」

です。

言語情調論



折口信夫さんという民俗学者、国学者の方が卒業論文として書いた一冊です。
日本語のもつ「音」の性質について非常に細やかな分析がなされていきます。

正直にいえば内容が難しくてやや理解できなかったところもありますが、それでも面白い部分が多々ありました。
言語が持つ「気分性=情調」の部分について改めて考えさせられます。

また五十音の表記が如何に画一的に作られたものであるかがよく分かります。
「音の持つイメージ」を文字の形にすると、色々と削られてしまうものがあります。


歌を歌う人間として「美しい日本語」というものは追求していきたいところです。
また「聴き心地の良い音」を出せるようになることは、色々なお仕事でも役立つのではないかと思います。

白隠禅師 健康法と逸話



白隠禅師というのは有名な江戸中期の禅僧の方です。
内観の秘法、軟酥(なんそ)の法という健康法(と書くと怒られてしまいそうですが)などを提唱し、多くの人を救ったそうです。
本書はその内観の秘法、軟酥の法のやり方が書かれています。

一切特殊な道具を使わず、自分の身体意識を活用することのみをもって病から快復する術が書かれています。
現代語訳から少しだけ抜粋すると

「すべて生をやしない、長寿をたもつ根本の秘訣は、いちばん身近であり、世界でただ一つの絶対的存在である自分の身体と心の形を、ととのえ、型を練り、心を落ちつかせ、心に平安をみたすのがいちばんであります。」

なんともシンプルな方法です。
具体的な技術面に関してみると、やはり全身をゆるめることの重要性が指摘されています。
加えて「五感で再現をすること」の重要性にも触れられています。


身体一つを使いこなせることで出来ることの大いなる可能性を感じさせてくれます。

2011年2月25日金曜日

夜と霧



第二次大戦中にナチスによる強制収容を体験した心理学者が、その体験をもとにして書いた本です。
約半世紀に渡り読み続けられている一冊です。

「自己実現」という言葉が昨今では流行のように使われていますが、そういった概念から程遠い状況にあった強制収容所という日常にあって、それでも人間を人間として保つために何が必要だったのか?
また人間が選択することの多くが大きなうねりの中では如何に頼りないものであり、しかしそれでもなお「希望を見失わないこと」が大切なのか。
実に色々なことを考えさせられる一冊です。


改めて思いますが、こういう「非常事態において役に立つ技術」はもっと重要視されるべきです。
我々は現在の状態が明日も、明後日も続くと漠然と信じていますが、昨今の情勢を冷静に考えるとそんなものは簡単に吹き飛ぶのではないか?という気がします。
「本当に大切な時に役立つ技術」というのは、身体的なものやごく個人的なものであったりするのではないかと。
戦略や戦術といった知識も大切だとは思いますが、その前に「日常的な言動」を改めていくことの重要性を改めて指摘されたように思います。


現在の自分が「如何に可能性に包まれているのか」ということを再確認できる一冊です。

2011年2月23日水曜日

創造する無意識 ユングの文芸論



ユングというとフロイトと並ぶ心理学の大家として有名なのではないかと思います。
無意識(集合意識のようなもの)を考え、そこから個々の人間が受けている影響などについて考えることによって色々な議論が進んでいきます。
本書は、その中でも芸術に関する話を根底においてお話が進んでいきます。


中々に難解で全てが理解できたわけではないのですが、現在の文明が「分かりやすい意識の世界に特化」することで成り立っていることは常々感じていたことなので、本書の中から色々と感じる部分がありました。
ユングが易経に影響を受けたらしい、というのは割と最近になって知ったことだったのですが、こう「世界的、宇宙的な存在」と上手く付き合えるようになっていくことは、実は現在のような状況においてこそ必要なのではないかと思います。
世界を自分の思うように構成していく、のではなく「与えられているものと上手に付き合っていく」感覚とでも言えば良いでしょうか。
無論、自ら切り開いていく精神も大切ではあるのですが、それだけでは物事がうまくいくわけではありません。


色々と頑張って疲れ気味な人にはオススメの一冊です。

2011年2月7日月曜日

易経



中国の古典「易経」の入門書です。
能や尺八に関するお話などを読んでいて、陰陽に関するものに触れておいた方が良い気がしたので読んでみました。
正確には読んでみた、というよりも易経のやり方で自分のことを占ってみたりしました。

中々どうして、よく出来ているツールだな~と思います。
「機」をみるために使うのですが、それが時系列に従って読み解かれていくさまは中々相関です。
また、占術の技法そのものにごく簡単な簡易版が用意されているところも良いです。

占いというと馬鹿にしがちですが、中々どうして世界の中枢では未だに「西洋科学では説明できないもの」で成り立っていることが多数あります。
そして何より大切なのは「出たものから何を読み取るか」は結局その人次第、ということです。
特に易経はそういった「読み手、受け手の解釈」が非常に問われる代物です。

当たるも八卦当たらぬも八卦、タイミングを測るのに良いツールかもしれません。

差別の民俗学



民俗学者である赤松啓介さんの差別に関する論考をまとめた一冊です。
いわゆる「常民」と呼ばれる一般的なものの見方を否定し、差別というものがどのようにして産まれ、現在にも残っているのかを色々な具体例を取り上げながら考察していきます。

個人的に非常に面白かったのは「山道」のお話でしょうか。
差別をされていた人々が使っていた人知れない山道の存在など。
歩行法による速度と併せ、このような道の存在が全国に張り巡らされていたことが当時の驚異的な移動スピードに繋がっている面もあったのではないかと。

日本においてありがたがられる「道」の考え方も、裏を返せば差別的な思想と結びつく、という辺りは指摘されてみて初めて気が付きました。
どのような物事も、評価というのは一側面だけで考えてはいけないな、と思いつつ。

2011年2月2日水曜日

日本の弓術



ドイツ人オイゲン・ヘリゲルからみた日本の弓術に関する研究書です。
弓という道具から禅、仏道に通じる方向にお話が進んでいきます。
日本における宗教書として読んでも面白いのですが、身体技術書として読んでも大変に面白いです。


例えば呼吸法。
少し抜粋すると

「あなたが弓を正しく引けないのは、肺で呼吸をするからである。
 腹壁が程よく張るように、息をゆっくりと圧し下げて、痙攣的に圧迫せずに、息をぴたりと止め、どうしても必要な分だけ呼吸しなさい。
 一旦そんな呼吸の仕方ができると、それで力の中心が下方へ移されたことになるから、両腕を弛め、力を抜いて、楽々と弓が引かれるようになる。」

腹壁を張る、というのは表層筋で固めるのではなく深層筋である横隔膜が下げられることによって張る、という理解で良いかと思います。
またこの呼吸法は尺八の「密息」に限りなく近いのではないかと。


また、弓道を技術ではなく、理屈を超越し宇宙との一体感をなすためのものであることも繰り返し指摘されています。

続編である「弓と禅」も今度読んでみようかと思います。

2011年1月24日月曜日

心が楽になるホ・オポノポノの教え



ハワイの民間信仰であるホ・オポノポノというものがあります。
神聖なる存在ディヴィニティからインスピレーションを受けて行動をすることで物事が上手くいく、という行動原理です。

とかく人間は「考える事」で詰まってしまいがちです。
ハワイの言葉で「ク・カイ・パ」というものがあるそうです。
考えすぎて心が詰まっている状態を意味するのだとか。
昨今のストレスが強まっている社会にあって、心の便秘を起こしている人は相当多いでしょう。

本来のホ・オポノポノは集団でやるものらしいですが、本書ではそれを一人で簡単にやる方法が紹介されています。
やり方は至って簡単で、何かあるごとに

「ありがとう、愛しています、ごめんなさい、許してください」

この4つの言葉を唱えるだけです。
順不同、言いたいものだけを言えば良い、実際には口に出さず心のなかでつぶやくもよし、しかも感情を込めず、機械的につぶやくだけで大丈夫というお手軽さ。


科学的根拠を求められれば返答をすることはできないお話です。
しかし「有用な技術」であるからこそ民間信仰というものは続いてきたわけです。
論理が不明瞭であろうとも、役に立つのであれば使えば良いのだし、少なくとも損はしないのではないかと。

本書を読んでいて思い出しましたが、人間は「怒ること」に対して中毒性を持ちやすいらしいです。
なにかのニュースを読むにつれ「けしからん」と怒っているのもその習性なのだとか。
当然、心身には良い影響を与えません。
「良い感じに生きること」を目指されている方には、中々使える技術なのではないかと。

倍音 音・ことば・身体の文化誌



以前ご紹介した尺八の呼吸法「密息」に関する本を書かれていた中村明一さんの本です。
これまで音楽において脇役に置かれていた「倍音」を主役に持ってくることで、通説とは異なる歴史、音楽、身体の観点をひらこうという一冊です。

日本の国土や日本語の分析を通じ、なぜ日本において倍音の豊富な音楽が産まれたのかが指摘されていきます。
倍音を通じて人と人とのつながりなどが考察されていき、日本の伝統音楽に親しんでいくことの重要性について提言がなされます。

音のもつ多彩な力について再認識ができます。
みんなが知っているあの芸能人の声と発言内容の組み合わせなど、言われてみると「あ~」と納得出来ることが沢山出てきます。


ちょっと「和物ばんざい!」な思想が強すぎるので受け付けにくいところもあるな~とは思います。
が、西洋系の器楽、声楽などにおいて「倍音構造の取り込み」が行われてきている現状を考えると、確かに「和物」が先行している部分もあります。
良いところを上手く併せていくことで、先へ進めることができれば素晴らしいのではないかと。
ご自分に必要な部分だけでも取り込んで頂ければ。
一歩先に進めるのに役立つ一冊です。

疲れない体をつくる「和」の身体作法



能の世界では80歳、90歳で現役ということも珍しくないそうです。
むしろ高齢を迎えたからこそより美しく舞うことができるようになるそうです。

それを可能にする身体意識として「からだではなく身」「芯、コア」などが挙げられます。
最近の言葉を使うならば深層筋というものが有名でしょうか。
能においては外側の筋肉ではなくこの内側の筋肉を多用します。

内側の筋肉を上手に使えるようになると、呼吸が深く確かなものとなり、判断力などにも大きな影響を与えます。
また胴体部(背・腹)を上手に使えるようになることで疲れにくく、高パフォーマンスな身体を保つことが出来るようになります。

改めて「健康」という言葉は思ったよりも意味が深いことを思い知らされます。
単に病気をしないだけではなく身体そのもののパフォーマンスを向上させていくようにしたいものです。

2011年1月18日火曜日

選択の科学



選択肢がある状態とない状態を比較して、人にはどれだけの影響が出てくるのか?
この点について様々な側面から考察をしている本です。

かの有名な「ジャムの試食」実験をやったのはこの人だったのですね。
6種類のジャムと24種類のジャムで試食をしたとき、試食をするのは24種類のジャムを用意した時だったが、実際に購入率が高かったのは6種類のジャムを用意したときだったというアレです。

本書の場合、基本的に「選択できることは良いことだ」ということを前提にしています。
ただし面白いのは「ではすべてを選択できることが良いことなのか」という反対からの目線についても考察されているのが中々に面白いです。
選択肢が多すぎると満足感が下がる。
辛い選択については他人にやってもらった方が楽なこともある。(快復の見込みがない人間に対する治療の停止など)


私が持つ一つの懸念として、人が持つこのような傾向について「科学的に明らかにされていくこと」が一概に良いことだとは考えていない、ということがあります。
これらを理屈として明確にしてしまうことが、結局は人間をより「不幸な状態」にすることがあり得るからです。
そういった辺りの微妙なところを含みおいた上で読むと、実践的に活用できる部分も多い本なのではないかと感じました。

芸能論などとも絡む部分があり、色々な分野に繋げられそうな一冊です。

風姿花伝



世阿弥が書いた能芸論の書として有名な一冊です。
本来は門外不出の秘伝書なわけですから、そこのところを前提においた上で読み進めることが肝要かな、と思います。


年齢別の稽古方法や取り組む役ごとに注意すべき点など、非常に具体的なお話が書かれています。
また「観客を意識すること」についても触れられており、近代経営的な匂いが結構する部分も多々あるように思われます。
そこに加えて「時運」の必要性や好不調の波、稽古の重要性など日常的、一般的な部分にも触れられています。

面白いと思ったのは「本当の花が咲くのは34,5歳くらい」というところでしょうか。
それまでに咲く花は若さ故の季節限定ものだよ、ということ。
当時の35歳といえば、かなりの高齢者ではないかと思います。
現在でも能の演者には80歳、90歳が珍しくないようです。
以前にも能に関する身体技法について取り上げた本を読んだことがありますが、能を通じて身体が活性化されるのでしょうか。

案外と厳しいのは「この年までに花が咲かないと、もう無理だよね」と見限っていること。
最近では「◯◯歳までにやっておきたいこと」的な本も多いですが、一面の事実ではあるのかと思います。
ただ「何歳になっても上達はする」というのもまた事実ですので、自分を磨くことは続けなければなりません。

あとは「皆でシュアする部分」と「秘する部分」についてどう考えるか。
自己の強み、というものを何でもあけっぴろげにするのも事業的には微妙ですが、実はシェアすることによって広がっていく世界(もちろん事業も含む)が間違いなく存在します。

2011年1月9日日曜日

社会的共通資本



そもそも経済学の役割とは「豊かで公正な社会の構築」にあったのではないかと思います。
しかし、現在の社会情勢は「自分が如何に多くのものを手にするか」ということばかりが話題になるようになりました。
ここのところ繰り返し指摘している「所有感の充足」が第一のものさしになっています。

自由主義、新自由主義といった「小さな政府で市場に任せるべき」という傾向が強まり続けた過去10~20年を経て、現在の我々が「良い雰囲気」を感じてるかというと、到底そうとは言えないのではないかと思います。
どちらかといえば日に日に強まっていく閉塞感の中で、誰しもがどことなく世間に対して不満をいだいているのではないかと。

本書は「社会的共通資本」という思想のもとに、医療や介護、農業や教育などの各分野について「現在とは異なる公正、公平な社会の構築方法」について考察しています。
経済というものさしを使う場合でも「金銭的な経済」のみでなく、社会的な意義や体験といった非金銭的な価値についても比較をしています。

とかく「金で測れないものにこだわることは非合理だ」と言われがちな昨今ですが、実際には「ものさしを一つに絞ってしまうことがどれほど怖いか」ということを露呈しているのではないかと思います。
個人的には農業分野における規模の問題や、教育におけるインネイト(先天的)なものに関するお話が非常に興味深かったです。


繰り返し取り上げている「所与的感覚」というものともつながる部分があるお話です。

2011年1月7日金曜日

マネジメント信仰が会社を滅ぼす



マネジメント話が花盛りの昨今にあって、色々な手法が大手企業などでは取り入れられるようになったようです。
しかし、実際には日本企業の成績は上向いているように感じられません。

その原因として「意志の不足」を取り上げているのが本書です。
「ビジネス=意志」「マネジメント=管理」という区分けをし、現在の日本に必要なのは「管理」ではなく「意志」の方だと繰り返し指摘しています。

正直、この区分けにちょっと意図的な部分を感じたり(実際にはマネジメントの中でも意志の力は繰り返し取り上げられている)、また取り上げている事例が非常に極端な例が多いため、素直に首肯することができない部分もあります。
ただ、事業の推進力の重要性について改めて指摘しているという点については納得です。


もう一点、本書では「意志の力」を個人主義的なものとして取り上げています。
私にはこの点がちょっと不満だったりします。
ちょうど本書を読みながら、並行して「個人主義と集団主義」のことを取り上げている本を読んでいるのですが、集団において発生する意志の力というものは存在します。
おそらく本書は「最初の発信源として個人が意志の力を示すこと」を重要性を取り上げているのでしょうが、取り上げている事例をみると「どこまでいっても個人主義」というお話の成功例ばかりが続いています。
実際には「個人が発信した意志の力が集団の意志にまで昇華されより大きな動きとなる」ということが必要なのではないでしょうか。


どちらかというと本書の中でやや批判的に取り上げられている「もしドラ」的状況(ビジネスではなく、趣味などの世界)においてこそ、まず本書の内容を試すのが良いのではないか、という気がします。
(実際、本書内でも趣味などで挑戦することの重要性は取り上げられています)

私自身でいえば、趣味でやっているヴォーカルグループのリーダーとして心がけていることは「これがやりたい」ということをなるべく分かりやすくメンバーや関係者に伝えることです。
その中から共有されたものがグループとしての成果につながっていきます。
こういうところをきちんと体験していくことが結局は事業においても一つの武器になるというのはその通りではないかと思います。

2011年1月2日日曜日

<気づき>の呼吸法



腹式呼吸、言い換えるなら横隔膜呼吸についてとても分かりやすくまとめられている本です。
服装やスタイルに対する観念や社会的ストレスなどから、現代人が如何に呼吸において無理をしてしまい効率的な呼吸が阻害されているのかなど、問題提起と解決方法が提示されている分かりやすい一冊です。

呼吸法は人間の身体能力、思考能力に対して確実に影響を及ぼします。
浅く速い呼吸を繰り返し、ストレスから息を止める状態が続くような日常を過ごしていると、身体能力は低下しそれに伴い判断能力も衰えていくでしょう。
これは精神論的な問題ではなく、浅い呼吸では酸素を効率的に取り込むことはできないというもっとシンプルで、且つ生理学的なお話です。
効率的に酸素を吸収できる呼吸をしている人の方が、そうでない人に比べて合理的な身体操作を行っているのです。

お腹を弛緩させ、横隔膜を活用する呼吸を学ぶには中々に良い一冊かと思います。
これに併せて、横隔膜と連結する大腰筋を鍛え、お腹の外筋や強張りを丹念に取り除く工夫をしていくことで、より効率的な呼吸が目指せるのではないかと思います。