2010年12月30日木曜日

南の島のティオ



きっかけは合唱界ではとても有名な組曲、木下牧子さんの組曲「ティオの夜の旅」からです。
高校一年生の時に歌いましたので、かれこれ17~8年前になるでしょうか。
最近読んでいた色々な本からこの組曲で使われていた詩のことが気にかかり、読んでみたくなりました。

南の島で家業のホテルを手伝う少年ティオが出会う様々な人に関するお話が展開されていきます。
華やかで穏やかなその情景に憧れるとともに、現在はもう無くなってしまった(と思われる)その風景を思うとどことなく寂しさを感じたりもします。

十の短編から構成された本書の中でも、やはり一番の山場は最後の「エミリオの出発」でしょうか。
他所の島からきた少年エミリオは、文明に浸り始めていたティオの島の人間が忘れてしまった「一人で生きるための智慧」を色々と知っていました。
星の見方、魚の取り方、船の作り方、食物の取り方など。

本書を読んでいて改めて感じるのは「所有権」というものをどのように考えるか、です。
近代文明の根幹であり、おそらく人間が考え出した概念の中でも最大のものの一つであるこの所有権という概念について、どのように付き合っていくのか。
無論、この原題日本において「所有権をすべて放棄する」ことなどおよそ現実的ではないのかもしれません。
しかし、この「所有する」という感覚の暴走こそが、現在の閉塞感の初元にあるのではないかと思います。
以前紹介したマルセル・モースの贈与論などと併せて考えて、とても面白く感じました。


さらりと読めて、読後に気持ちの良い風を感じることができる一冊です。

2010年12月27日月曜日

なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?



「気づく力」というのは、どのような物事においてもとても大切なことだと思います。
皆同じものを見ているはず、なのにその人だけがそこに気がつく。
世の中で成果を出している人の多くはそういう「気づく力」を発揮している人ではないかと思います。

本書は「そうじ」を通して「気づく力」を発揮し、そして気づいたことを「実践し続ける」ことによって成果を出すという内容の小説です。
本書の推薦人の一人であるイエローハットの創業者鍵山さんは、以前陽明学の本を読んで「掃除の習慣」を続けていたことを知りました。
「愚直に一つの物事を続けること」「分類をしないこと」など、実践的な技術として掃除は役に立します。

掃除をすることは、身体的にも効率のよい訓練になりそうです。
適度な運動、五感(視覚や触覚は非常に刺激されるかと)の鋭敏化なども期待できそうです。

未来を変えるちょっとしたヒント



未来学という「未来のことを考える学問」について平易に説明された本です。
未来学というと「未来予測」ばかりに着目するようなイメージですが、実際には「過去」「現在」とのつながりを非常に強く意識した内容となっています。

特に面白いと思ったのは「過去からの重石」でしょうか。
「自己のイメージ」という自分が自分に持っているイメージによって人がどれほど拘束され、未来への可能性を閉じているか。
「神話的観念」という大前提によって、どれほどの選択肢が廃棄されているのか。

昨今の「自分探しブーム」に強く違和感を感じているのですが、正しくこの「過去の重石」を強くしているのがこの「自己分析が重要だ」という「公理とされているもの」なのではないかと思います。

論理的思考だけでなく「思いつき」の重要性にも触れているなど、中々に面白い内容でした。
「他者からの懇請によって才能が開花する」という内田樹さんの意見とある意味真反対の部分も含みつつ、両者共に「自分が自分に持っているイメージの偏り、当てにならない部分」を取り上げているのも実に興味深いです。


死を意識することなど、未来のことを思ってこそ現在を正しく過ごしたいものです。

2010年12月16日木曜日

白川静さんに学ぶ漢字は楽しい



漢字研究の第一人者である白川静さんの教えを小中学生にも分かるように平易な文章で書いた本です。
しかし、その内容は大人が読んでも大変に面白いものとなっています。

例えば本書の中でなんども出てくる「口」という形について。
多くの人はこの形を「顔にある口」だと教わったのではないかと思います。
しかし、実際にはこの「口」は「顔の口」ではなく「神への祝詞をいれるハコ」からきているのだとか。
この「口」の形がくる文字の多くが「神」など宗教系のお話に関係してくるのだそうです。

コレ以外にもいくつかの例が紹介されていますが、そもそもの字の成り立ちを追っていくとなんとも意外な語源…ならぬ文字源が出てきます。
宗教的、呪術的、生死観、軍事関係等々、実に生々しいお話が沢山。

さっくり読めて実に面白いです。

2010年12月15日水曜日

梅棹忠夫 語る



一つ前の更新で紹介した梅棹忠夫さんの最後の著書(対談集)になります。
「歩け」「思いつけ」「みろ」「権威に頼るな」「人まねをするな」「学はまねる、まねして成長しろ」「学問は自己合理化」等々、ズバズバっと色々なお話が語られていきます。

上で書いた「人まね」「学ぶ」は一見すると矛盾であるように思われますが、そうではないと私は考えます。
技術の習得において、人間はしっかりと「学ぶ」必要があります。
その時には師匠(あるいはそうだと思う人)を徹底的にまねしなければなりません。
「知的資産の技術」の方でも紹介されていますが、技術というものはある程度「没個性的」であることが特徴となっています。
習得をすることで誰しもが一定水準に到達することができるもの、それが技術です。

問題はその技術の適用方法についてです。
その点について、梅棹さんは「人まねはするな」というお話をされているのではないかと思います。

また、芸術畑に関わる人が「科学的素養に欠けている」という点についても興味深いです。
最近よく思うのですが、「歌の技術」は存外に科学的であり技術論的であると思います。
つまり「きちんと習得すれば皆そのレベルには到達できる」はずなのです。
ところがそれをいきなり「才能」だとか「個々人のそれらしさ」という言葉で括ってしまう。
私はとてももったいないことだと思っています。


何事にも「経営的思考」は必要です。
(別に金儲けにつなげろ、という意味合いではありません。)

知的生産の技術




2010年7月に亡くなられた梅棹忠夫さんの代表作です。
出版されたのは1969年ですので、40年を経過しているのですがその内容はまるで古さを感じさせません。


本書は「ハウツーもの」ではない、と著者は指摘しています。
確かに本書の中には「カード利用法」など、具体的な技術論が書かれているので一見するとハウツー的に読めるかもしれません。
しかし、根底にあるのは「問題の提示」であるように思われます。
冒頭で書かれている「知識の獲得法の獲得」という命題に対して、個々人がどのように取り組んでいくべきなのか?
序文の最後で「考え続けることの重要性」に触れられていることからも分かるとおり、本書はあくまでも課題の提示を目的としており、自ら実行をしていくことを求めています。


現代においては紙ベースだけでなく携帯電話、スマートホンなどの活用による別の形の記録方法もまたありえるのではないかと思います。
大切なことは「記録して終わり」ではなく「記録したものをくって、回して、組み合わせてみること」です。
私自身、自分のブログをたまに読み返してみて「あ~同じところを回っているな」と諭されることもあります。


「記録」というものの使い方について色々と考えさせられる一冊です。
思考を練りあげていくための手段を学ぶのにオススメです。